来 歴

悪い男


右の方からか左のほうからか知らないが
とにかく彼はやつてきた
今は夜明けで
やがて何もかもよくなる予感だけがある
しかし繃帯だらけの両手を大げさにさし出して
花一つ咲かない風景の中を歩いてくる
彼の登場は大輪の菊のように豪華で厭味だ
彼は遠いたそがれ不意に町角を曲り
私の視野から姿を消したあの男だ
利害や得失をかぎわける鋭敏な本能は今も変らず
ありきたりの貴公子顔も見せかけにすぎない
彼の鼻よりも高くて冷淡な野心のためには
甘やかな恋物語など歯牙にもかけない風があつた
後もふりむかずに長い腕をふつて
その去りぎわはやはり鮮やかで芝居気たつぷりだつた


そしてまことめぐみ深い夜が来たので
むこうみずな彼の足も
殊勝な未来に向かつて大またに歩き出し
みにくい生活からも遠ざかることになつて
私も彼との和解が近いのをよろこんだ
彼は自分の存在の自由を証したいのだ
どんなに小さな行為も彼にとつては意味がない
だから彼を善悪で判断するのは不当なことかもしれない


そしてまこと望み多い夜明けが来たが
又してもふみはずした彼の足は
永遠と反対の方角へ後ろむきにかけ出そうとしては
深い思想からあやうくそれてしまうし
私は彼をひきとめるのに大わらわだ
彼は自分の力の無限をためしたいのだ
どんなに小さな同情も彼にとつては侮辱にすぎない
だから私の挨拶を無愛想に拒絶するのかもしれない
今むこうで繃帯だらけの両手を派手にふりあげて
彼を告発しようとしている
あれはまぎれもない私だ
うそ寒い風の吹いているここには彼のいる場所はなくて
私の場所に立つているのは彼だ
彼は不在を証明するたけに
あやしげな私の顔をして私の口真似して
「どうぞ行つてください・・・・・・詩人はもとより孤独です・・・・・・」などと
いうのだ

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